海の日に、海の人になった
野本謙作さん.

 信じられないことが起きた。

 KAZI誌連載中「ヨットへの招待」の筆者、野本謙作さんが7月20日(海の日)、他 界された。奇しくも海の日を記念して新西宮ヨットハーバーで毎年開催されている体 験試乗会に協力し終えた直後に、その信じられないことは起きた。

 野本さんはボランティアで愛艇の〈春一番II〉(30ft)を伴ってイベントに参加、 午前と午後の2回に分け、それぞれ2時間、5名ずつ子供たちを乗せセーリングをし た。その後、同ハーバー東桟橋にもやいを取る作業中に〈春一番II〉が流され、それ を追い海に飛び込み泳いでいるうちに水没、行方不明となったのち溺死体として発見 収容された。

 事故は、わずかなミスといくつかの偶然が鎖のように重なって起きるといわれる。 この知らせを最初に聞いたとき、私は「経験豊かな野本さんのことだから、よほどの 悪条件が重なったに違いない」と思った。

 野本さんはヨットによるセーリングでの離着岸を得意としていた。クルーザーでの セーリングによる離着岸は、係留する場所の周囲が広いほうが行いやすい。そのため に東桟橋という人目の届きにくい所で事故は起きた。

 風は8メートルほど吹いていた。これだけ吹いていれば流されるフネの勢いは相当 なものだ。しかし、桟橋から手が届きそうなところに愛艇があって、船尾にはパーマ ネントのトランサムステップがあって、そこに泳ぎつけさえすれば難なくフネによじ 登ることができると思えば、私でも飛び込んでしまったかもしれない。

 事実、野本さんは慌てる様子もなく帽子と靴を脱ぎ、風に飛ばされないように処置 をして海に入ったという。そして、フネに到達することなく、海の底へ沈んでいった という。

 現時点では現場で見ていた人が少なく、憶測も混じり細かい事実が不明確なために 目下調査中だが、何はともあれ残念でならない。

 私は野本さんと一緒にセーリングをしたことはないが、〈春一番II〉のキャビンの 中で「ヨット普及のためにはどうすべきか」とか「最近ヨットが売れないのは何故な のでしょう?」とか、酒を酌み交わしながら気さくに議論相手になってもらい、たく さんのアドバイスをいただいた。仕事上は、新しい企画記事についてのアイデアをい くつもいただいた。いわばヨットと仕事上の師であった。

 大阪大学名誉教授に至るまでの造船学会における活躍は国際的にも著名であり、ヨ ット界における航跡は本号185頁に詳しくあるが、私はとりわけ野本さんのヨット普 及に対する貢献度を讃えたい。具体的な数値はないが、日本のヨット史上、全国各地 で最もたくさんの人をヨットに乗せて普及したオーナースキッパーではないだろう か。

 取材に行く全国の港やハーバーで、その地のセーラーたちから「3年前の11月にウ チのハーバーへ野本先生が〈春一番II〉で来てくれましてね」とか、「つい先月です よ、ぷらっとこの港に立ち寄ってくれましてね」とかいう言葉を何度聞いたことか。 私はその度に頭が下がる思いがした。野本さんはそうして訪ねた先で出来るだけ時間 を作り、初めて出会った、初めてヨットに乗る老若男女を乗せヨットの楽しさを伝え ていった。“ヨット伝道師”といっても過言ではないだろう。

 その野本さんがいなくなってしまった。私たちは大切な人を亡くしてしまった。

 お子さんのいない野本さんご夫妻。奥様の信子さんもさぞかし悲しく淋しいに違い ない。ひょっとすると〈春一番II〉は、命より大切なお子さんだったのかもしれな い。その〈春一番II〉を救うために、海に導かれるように野本さんは逝った。

 「海の日」に「海の人」になった。

 私はいまだに信じられずにいる。皆が寝静まる早朝、いつものように一人でもやい を解き、音も立てずにセーリングで次の目的地へ旅立っていったようでならない。そ してまた、テンダーに乗って、あの太い腕でパドルを漕ぎながら「やあ、また来たよ」と声を掛けられそうな気がしてならない。

                 雑誌 KAZI 編集長 

田久保雅己