野本先生とお話する機会は、ごく限られていました。 約30年前の造船学会講演会で住重の芳村さんの発表に討論した折が 最初、それから長いブランクのあと数回でしょうか。最後は夢の島マリーナ で、2000年でした。お接しすることは少なかったのですが、いくつかの共通点 を通して、なんとなく、勝手にですが、ずっと親しくさせていただいてる気が していました。

先生の実家は松山市持田町、私の実家は500メートルも離れていない 旧名西一万町と弓ノ町でした。しかも、共通に松山藩の南の大州藩の 地域につながりがあります。今でも、松山市から今治市にかけては、 多数の独立船主が健在な地域です。ほんの少しにしても、共通の血が 流れているのかもしれません。

アメリカズカップでは野本先生はJPN3、6を設計されました。現在のルール になってから3、6番目のAC艇です。同郷の先輩と同じ仕事を体験したのは 何か遠い昔からの縁かもしれません。先生お勧めのアイリッシュウィスキー、 ラフログも愛飲しています。

ご冥福をお祈りします。

宮田 秀明 
東京大学大学院 工学系研究科 環境海洋工学専攻