追悼 − 序にかえて
故 野本謙作・大阪大学名誉教授(造船学専攻)による
米田家の「神通丸模型」(富山県へ寄贈)調査について

(米田家神通丸模型研究報告書より)

犬島 肇

1. 野本謙作氏(大阪大学名誉教授・造船学専攻)の調査にいたるまで
昨年(2001年)11月10日〜11日の両日、富山市岩瀬、水橋の両地域で「岩瀬・水橋バイ船フォーラム2001」が開催された。このフォーラムは2日間にわたるものであったが、両日とも地域の住民の方々が大勢参加され成功裏に終わった。
富山湾に面する岩瀬と水橋の地域が、お互いに共通の「バイ船」(=北前船)の歴史によって、よく似た産業と生活文化を蓄積していながら、共同の力によって、過去―現在―未来を展望することは皆無であった。これまで、なぜ力をあわせて情報を交換しあい、研究することがなかったのか不思議でさえある。
ここにいたるまでには20年前後にわたる歴史的な蓄積と伏線があった。岩瀬側では「岩瀬バイ船文化研究会」を結成して、10数年以上前からバイ船海運とその文化に絞った運動に取り組んでいた。他方、水橋では「水橋郷土史料館」を設置しており、広範な分野にわたって研究・調査活動が続けられていた。この岩瀬と水橋の双方が、斯界の権威である評論家富山和子氏の発案で、ミツカンのメセナ事業である「ミツカン水の文化センター」の機関紙『水の文化』の取材をうけたことが契機になって結びついたのである。なお、その詳細はミツカン水の文化センター発行の『水の文化第9号』(平成13年11月)や、ミツカン水の文化センターのホームページ(http://www.mizu.gr.jp/)をご覧いただきたい。
このフォーラムを成功させ、岩瀬と水橋地区の交流を発展させる上で故・野本謙作氏からいただいた学問上のご支援が大きな役割を果たしたといえる。
ところで、筆者は「岩瀬バイ船文化研究会」の結成を提唱し、「全国和船研究会」に参加するなど和船研究の動向に関してはいささの知識は持っているものの、専門家ではない。たまたま平成12年8月、青森市で開催された第17回の「全国和船研究会」に参加したところ、大阪大学名誉教授・野本謙作氏が行われた「千石船・菱垣廻船浪華丸の帆走実験」に関する報告を聞く機会をえた。筆者は同氏の深い学問に感動した。その上、夜の交流会では、幸いにも野本氏のとなりの席に座ることができた。もともと、徳川家康が江戸に幕府をすえてから、大阪から菱垣廻船や樽廻船を走らせて物資を運んだのであり、千石船など大型和船の海運の発祥の地である。してみれば、東京の学者よりも大阪の学者の方が和船については、より実証的な研究を積重ねているのではないかと推測された。そこで、筆者は「岩瀬バイ船文化研究会」の設立経過と運動の実績を野本氏にお話して、来県を乞うた。
野本氏は「私はヨットをやっているので、日本の各地をヨットで訪ねている。富山湾では新湊や魚津などへは訪ねているものの、富山湾のうち、岩瀬から水橋方面には行ったことがないので、お招きいただければありがたい」とのことであった。こうして、野本氏の来県が実現する見通しとなり、筆者は小躍りして喜んだことはいうまでもない。

2.野本謙作氏の調査が始まる
平成13年4月頃、筆者は、野本氏に、既刊の『バイ船研究』(岩瀬バイ船文化研究会刊行誌)の第1巻〜第6巻と手紙を差し上げ、米田家が富山県に寄贈したバイ船「神通丸」模型の調査と、11月に予定する「富山市岩瀬・水橋バイ船フォーラム2001」の基調講演を依頼した。野本氏は快諾してくださったが、同時に、富山県教育委員会文化課(現在、機構改革により「文化財課」)が、すでに石井謙治氏に委託して行っていた「神通丸」の解体調査報告書(平成5年3月 富山県教育委員会刊行「神通丸模型調査報告書」 神通丸模型調査会代表・石井謙治に富山県が委託したもの。) も見たいとのことであった。筆者はこの「石井報告書」を富山県教委から取り寄せてただちに野本氏に送付した。
その後、野本氏は、筆者に対して中部運輸局伏木海運支局で「神通丸」の『船籍原簿』をとりよせ、その写しを送付してほしいとも希望された。これは船舶の戸籍にあたるものである、との説明をいただいた。このため、筆者は野本氏の求めに応じて二度伏木へ足を運んだが、このことが「神通丸」調査の基礎資料を探す上で、大きな意味をもつことに気がつくには多少時間がかかった。後刻、石井報告書は、『日本船名録』に拠って書かれており、永久保存とされている『船籍原簿』を実際に調査した上で作成されているものではないとの指摘が野本氏からなされた。
フォーラムの準備についても、野本氏は事務局の立場を理解され、いち早く『バイ船の帆走性能とその経済効果―米田家所蔵バイ船模型「神通丸」に因んで―』と題するレジュメを、フロッピーで送ってくださった。
11月8日、午前9時30分、野本氏は筆者の案内で、富山県教育委員会文化財課を訪ねられ、副主幹の松島氏、安念主任とともに、富山県民会館二階に展示されている米田家寄贈の「神通丸模型」の実測調査等を行われた。筆者は終始、その現場に同行にさせていただいた。
野本氏は、この際富山県の機帆船の調査をも併せ行いたいと強く希望されたので、筆者は野本氏とともに新湊市立博物館を訪問して、保科館長、島崎学芸課長と面談した。新湊市は、戦前においてカムチャツカ方面での北洋漁業で活躍した機帆船の大基地とだったといっていい。野本氏は、いわば「一枚帆のバイ船」から「洋式帆船」へ、さらに「機帆船」へと変容していくプロセスを調査しておられたのである。
 先に述べたとおり、野本氏は和船の研究についても豊富な経験をお持ちであった。筆者をはじめとして、私たち岩瀬バイ船文化研究会が、「石井報告書」に対して抱いていた違和感、不審感を瞬時にして見抜かれ、大別すれば、次の二点の問題点を解明されたのであった。
 その第一は、「石井報告書」が、江戸時代から蓄積してきた東岩瀬のバイ船の「歴史」や「誇り」への理解が足りないことに起因する問題点を抱えていること。
 その第二は、『船籍原簿』に登録・記載されている実物「神通丸」のデータと、模型の実測を行われた上、模型の縮尺度合いを正確に割り出されたこと。

3.深い学殖から受けた感動
― その地方の象徴になっているものに対してはしかるべき敬意が必要 ―
こうして、野本氏は周到な調査と準備を重ねられ、平成13年11月11日、「富山市岩瀬・水橋バイ船フォーラム2001」の第二日の基調講演に於いて、つぎのように発言された。
【野本謙作氏講演風景 02.11.11.岩瀬カナル会館】

<(石井)報告書の中に、これは飾りの模型(筆者注―米田家の脇床に、この模型が飾られていた)に過ぎないというような表現があって当地の皆さんに釈然としない印象を与えたということもあったと伺っておりますが、「飾りの模型として立派にできている」と「飾り模型にすぎない」というのでは大分違いますから、そういう書き方は適当ではなかったのではないかと私は考えております。縮尺の厳密さだけで船の模型の価値を計ることはできないことですし、第一、この模型のようにその地方の伝統の象徴になっているものに対してはしかるべき敬意を払うべきでありましょう。古い船を学問的に研究、分析する場合にも、それは大切な心がけだろうと私は考えております>
筆者は、このくだりへ差し掛かると、野本謙作氏の温容を思い出す。そして、その豊穣な学問世界に深い感動を覚えないではいられない。それは、いわば、「人間」というものをよく知り尽くした、造船技術をささえる「人間味豊かな学問」への感動、―つまり、「科学」がこのように人間観察を豊かにさせるものなのかという驚きであったと言い換えてもいい。

4.野本謙作氏の突然の訃音と、「第19回全国和船研究会」参加
野本謙作氏は、今年7月20日は夏休みの初日で「海の日」だったが、午後6時頃兵庫県西宮市の「新西宮ヨットハーバー」でお亡くなりになった。この訃音を聞いた瞬間、筆者はわが耳を疑った。年齢を感じさせないほど、逞しい肉体とエネルギッシュな調査活動、強靭な学問への意欲で我々を魅了した野本氏が死去されたとは誰が信じられよう。
 筆者は「富山市岩瀬・水橋バイ船フォーラム2001」の実行委員会委員長をつとめられた米田寿吉氏と直ちに弔意を述べる方法などを相談した。この瞬間、米田氏は8月31日〜9月1日大阪市で開催される「第19回全国和船研究会」への参加を決意されたに違いないと想像される。実は、その1ヵ月前の6月半ば頃、野本氏が筆者に宛てて、「この研究会に米田氏とともに参加してほしい、事務局を担当している学者たちは立派な方々だ」とファクシミリで案内を送付して下さり、筆者はそのことを米田氏に伝えていたのであった。米田氏は、「犬島さん、私は野本先生がつくられた浪華丸を見たいと思う」と漏らされた。
8月31日〜9月1日の2日間、筆者は米田さんとともに、大阪市で開催された「全国和船研究会」に参加した。海上は「なにわの海の時空間」である。初日の会議・報告が終わったあと全国各地から集まった会員で懇親会が催された。会の劈頭、「野本先生のご逝去を悼んで黙祷を捧げたい」と提案があり、我々は黙祷を捧げた。翌日午前、野本先生が設計・監修に当たられた実物大の千石船「浪華丸」を見学し、野本謙作氏を偲んだ。

5.故・野本謙作氏の業績等について
野本謙作氏は、1925年8月12日愛媛県松山市で生を享けられた。1947年九州帝国大学工学部造船学科を卒業、1970年広島大学教授、1973年大阪大学工学部造船学科教授に就任された。専門は「船体運動力学」の分野である。
1983年5月、スウェーデンのマルメ市に設立された「IMO国連海事大学」の教授に就任された。この大学は、国連が世界の海運にたずさわる技術者のための大学院大学として設立したものであり、野本謙作氏は国連海事機構から強い要請を受けて設立と同時に就任された。1984年、イタリアのジェノヴァ市から「コロンブス賞国際部門金賞」を授与された。この賞は1955年にコロンブスの出身地であるジェノヴァ市が制定したもので、海上・陸上・航空に於ける通信、交通、制御等の技術的な発展に多大な貢献をした人に贈られるものである。野本謙作氏の船舶操縦性に関する研究は、操縦運動を操舵という「入力」に対する船舶の応答「出力」として考えようとする画期的なもので、1960年代以降の世界的な船舶操縦の自動化と海上交通管制の進展に大きな役割を果たし、わが国では新幹線開発グループに次ぐ受賞である。
野本氏は、専門分野の理論的な研究だけでなく、小型舟艇やセーリングヨットの設計、建造、運用にも当たられた。小型船舶分野の専門雑誌に多数の論文を発表された。今年5月に太平洋をヨットで横断した堀江謙一氏にもアドバイスされたと聞いている。和船研究、特に江戸後期の帆船から明治以降の機帆船を経て動力船に至るわが国の船舶技術の発展史も探求しておられた。いまにして思えば、筆者たちは野本謙作先生の最晩年において、深い感動を覚える経験をさせていただいたのである。これは「神恩」というものであろう。先生のご冥福をお祈り申し上げる次第である。
【この項は金沢工業大学・増山豊氏の「野本先生の業績」を参考にした】


犬島 肇
「岩瀬・水橋バイ船フォーラム2001」事務局長
岩瀬バイ船文化研究会事務局次長、富山県議
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