野本謙作先生の想い出

 先生の最後のご様子をお聞きしたときには、先生の信条とされ ていた言葉に言いつくせない大切なことを全うされたとの思いが 脳裏を駆けめぐりました。

 先生との出会いは、昭和40年前後のこと、日本造船研究協会 で大型船の操縦性能を調査するための実船試験を行うことになり その指導のために乗船していただいた時でした。会社に入って 数年の私が先生のおもり役として同行しました。試験の計測のこ と、試験が終わればその結果の分析や評価、夕食をはさんで操縦 性能の講義?、夜更けには天測の実習?といささかオ−バ−ロ− ド気味でしたが、知らず知らずのうちに先生の熱意、ひたむきさ に引込まれていきました。この素晴らしい魅力的な先生からパワ −をいただこうと・・。

 それがご縁で、教え子でもない私が仕事にかこつけて東京から 先生の研究室に頻々とお邪魔をして、仕事が終わればお酒の呑み かたも教えていただきました。先生とのおつきあいはいつも真剣 勝負でした。時間ぎりぎりまで呑まされて最終の新幹線に乗り遅 れたこともありました。のちに、そのことを申し上げると「すま んかった」と破顔一笑されたものでした。失礼を承知で申し上げ れば、先生は何事にも妥協を許さない執念ともいえる生きざまを お持ちでした。

 1990年頃にアメリカスカップのお手伝いをさせていただい たときにも、蒲郡のベ−スキャンプでセ−リングプログラムの計 算やボ−ト、セ−ルのメンテナンスを率先しておやりになる姿を 拝見して先生らしさを垣間見ました。先生のやり方は必ずしも評 価されませんでしたが、ご自身の信念を曲げられることなくアメ リカスカップから身を引かれたのも先生らしさではなかったでし ょうか。先生との接点をなくしてはいけないとの思いからセ−リ ングヨット研究会が誕生したのでした。

 私事ですが先生に唯一ご恩返しができたことがあります。先生 の研究室の卒業生のなかに私の同僚である喜多嶋浩さん(日本造 船学会副会長、三井造船顧問)と元山登雄さん(三井造船社長) がいました。先生は元山さんの社長就任を大変喜ばれていました ので、先生をかこんで会食をする機会をつくろうと先生をお誘い しました。そのとき、先生は「あくまで忙しい現役の人達の都合 がつけば是非」とおっしゃり、「くれぐれも無理のないように」 と繰返されていましたが、昨年の7月に実現できました。先生を かこんで座が盛り上がり、先生もことのほかご機嫌でした。大分 めしあがっていたようですが、そこでも先生の貴重なお話をうか がいましたが、今思えば先生のご遺訓になりました。

 野本先生とは一言では申し上げられない何か執念に近い生きざ まを感じつつ接しさせていただきました。先生があまりにも早く 私どもと住む世界を異にされたことは残念でなりません。生前に 賜ったご厚情に心から感謝を申し上げつつ、深くご冥福をお祈り いたします。

2002.9.30 安部光弘