ヨットは帆で走ろうよ

この問題はこれぐらいにしておきまして、ヨットは帆で走ろうよということを、私はよくいっています。私はいま年間150日から多い年は200日ぐらい水の上におりますけど、行き交うヨットの非常に大きな割合が、エンジンを使っております。まったく帆を張らずに機走している船もあるし、帆を張っててもエンジンを回している。何故あんなにエンジンを使うんだろうか、もったいないなあと、こう思ってしまうわけです。エンジンを使っていけないとはいわないし、みんなそれぞれ勝手だとは思うんだけど、それでもせっかくヨットに乗ってるんだったら、何故あんなにエンジンを使うんだろう、もったいないなあとどうしても思ってしまう。

帆で走らないと分からないことがある

たしかに、クルージングは移動の手段にすぎないのであって、むしろ移動した先々で沢山の楽しみがあるという考え方も、分からないではありません。しかし、ヨットに乗るからには天然自然の風だけに頼って、船を動かして海を渡る。そうするうちに、人間がこんなにおごり高ぶってくる前の、自然の偉大さとか、美しさとか、恐ろしさとか、そういうものが実感できると、私は感じてきているわけです。そのようなことを感じようとすると、できるだけエンジンに頼らない方がいい、全てを帆でこなす方がいい。そうしないと、そのような実感ができないという感じが、私にはあるわけです。ヨットというスポーツは、その点がかけがえのない良さであって、そのヨットに乗っていながらあんなにエンジンを使うのは、もったいないという気持ちが強いわけであります。

人工の力で自然の中にどやどやと踏み込んでゆくようなエンジンは、どうも私が今いってるような感覚にはなじまない。ヘリコプターでエベレストに登ってもおもしろくないでしょうという人がいますけど、まあそういうところかもしれません。

時間がないからしかたない。これも非常によくいわれることなんですが、私の考えるところでは、時間がなければ、無い時間の中でできるだけ充実した帆走をすればいいだろう。せっかく少ない時間をヨットに乗るんだったら、その中でエンジンを使ったんでは、せっかくのいい時間を無駄に使ってしまってるじゃないか、そういう感じがするのであります。

商売の航海だったら、何月何日にどこまで行かなくちゃということがあるから、仕方がないが、そうでなければ、自分が持ってる時間いっぱいに海と向き合って暮らすのが、ヨットの乗りかたではないか、こういう考えであります。

安全のためにも帆で走ることが大切

さらに、ヨットは帆で走ろうよと主張するもう一つの理由として、安全のためにも、帆走にこだわることは大切だと私は考えております。一般の船乗りはもちろんのこと、ヨット乗りまでも含めてかなり大勢の人たちの間で、何か問題が起これば帆を下ろしてエンジンで走ればひとまず安心だという考え方が、広くあるように思います。この考え方は、ヨットの場合には非常に危ないと思う。そうしたために、ますます危ない状況に追い込まれていったという実例が、非常に多いわけです。人間が落ちた、助けに行こうとすぐにエンジンを回した、ジブがばたついてジブシートが外に落ちた、そしてペラに巻き付いてエンジンが動かなくなった、そういう状況ですね。これは、非常によくある状況です。人間が落ちた、それなら帆と舵を操作して、落ちた人間を拾いにゆくための、いくつかの帆走運用のやりかたが長年の間にできあがっております。それをまず行なって、帆で拾いにゆく段取りをして、その上で船の上を片づけて、必要だと思えばエンジンを掛ければいい。人間が落ちた、すぐにエンジン、というのは間違いであります。

突風を受けてもそうです。例はいくらでも上げることができますけれども、何か緊急の事態が起こったときに、帆を忘れてエンジンを頼ろうという態度は、危険を倍加することはあっても、安全のためには役に立たない。それが私の考えであります。

人類はもう何千年も帆だけに頼って船を動かしてきました。ヨッティングはその誇り高い帆船の伝統を受け継ぐスポーツであります。それだのに、何かあるとすぐに帆を忘れて機械に頼ろうとする。いかにも腰が定まらない。海の上で何が危ないといって、腰がふらついているほど危ないことはない。だから、船乗りは頑固じゃないとだめ、こういうことであります。

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