スピン・ナ・ヤーン抄 ――― <春一番II>の背景

1998-07-31 野本謙作

シルバーエイジ一人乗りのすすめ 

最近アメリカの「クルージング・ワールド」誌に面白い記事があった。 79歳の老婦人がシングルハンド大西洋横断の年齢記録を更新したのだそうだ。 そのマリー・ハーパー夫人は身長l65センチ、アメリカ女性としてはむしろ小柄な方だと思うし、「男の人と一緒に乗ると何もかもすごくきつく締めてしまうので後でほどくのに苦労するわ」と言っているから、そんなにスーパーウーマンではないのだろう。 彼女は、なぜそのお年で一人乗り大西洋横断をする気になったのですか、と聞かれると、「 大西洋横断航海は私の念願でした。でもクルーの世話をする責任を負うことは気が進まなかったのです。 だってクルーがいれば、その食料の調達から、自分の船の操作に慣れてもらうことから、それにその人たちが楽しく乗ってくれているか、いつも気をつかっていなければならないでしょう」 と答えている。 人間若いときには自分自身も勢いがいいから周囲のわいわいがやがやも負担にならず楽しい方が勝つのかもしれない。 年がいってもやはりみんなと一緒に楽しむことに変わりはないが、それでも知らず知らずに、もっと静かな、内向的な世界に足が向いていく傾向は否めない。静かな世界といっても、そこにすわり込んでしまうのではなくて、たとえば一人で山に登ったり、シングルハンドで長い航海をしているシルバーエイジの人たちを見ると、そのような静かな、しかし意欲的な世界が見える。前出のハーパー夫人の心境などはちょうどこれではないだろうか。

近年わが国にも、こんなスタイルのヨットマンが、あまり目立たないけれども確実に増えてきている感じがする。私も勤めを退いてからは一年に百日余りをヨットの上で過ごしているが、全国の津々浦々で、ある人は一人だけで、ある人は夫婦二人で、ひっそりと、しかし自分の手足だけでしっかりと巡航しているのを見てきた。それがヨッティングの最終的な姿だなどというつもりはないが、しかしそれはとても心の休まる、それでいて充実した境地ではあると思う。そしてそろそろ銀髪の目立つ年ごろになったヨットマンの中には、自分もあんな乗り方をしてみたいとひそかに思っておられる人も多いのではないだろうか。

私の経験から言うと、それはそんなに大それたことではない。もちろんそれまでヨットに乗ったことのない人が船を買って、いきなり一人乗りを始めることはおすすめしかねる。そうではなくて、何年か、十何年かの経験のある人が、時にはクルーに気をつかうことなしにマイペースのセーリングをしてみようか、といった形で始められればそれはごく自然な成り行きではないだろうか。そしていったんその平和な境地、充実感を経験すると、ヨットにはこんな世界があったのかと目を見張る思いをされるにちがいない。

シルバーエイジー人乗りの第一歩、それは不精をしないこと

海軍兵学校の生徒たちが夜眠る前に一日を振り返ってそれを反省せよと教えられた言葉に「不精にわたる無かりしか」 というのがあったと記憶する。私は兵学校の出身ではないけれども、この言葉は非常に好きだ。船に乗る人間は決して骨惜しみをしてはならない。ヨットに一人で乗るならなおさらだ。  

人それぞれの立場にもよるが、シルバーエイジともなれば、ともすれば管理業務や段取りがおもな仕事になるのは自然の成り行きだろう。しかしそれが半ば無意識にヨットの乗り方にまで延長されてくるのはどんなものだろう。むしろ日頃の職場がそれだからこそ、ヨットに乗るときは人に言う前に自分が手足を動かすことが精神衛生にもよいのではないか。

「老年とは単に悪い習慣にすぎない」という、いささか負け惜しみ的な格言があるが、そんな悪い習慣を身につけないためにもひとつ骨身惜しまずシルバーエイジの一人乗りをしてみたらいかがだろうか。

一人乗りにふさわしいヨットの条件

ところで、それではシルバーエイジ一人乗りにふさわしいヨットはどんな船になるだろうか。 FRP量産艇全盛の現在、自分にぴったりの船を入手することはなかなか難しいことではあるのだが、 それでも基本に立ち返って考えてみることは大切だと思う。

どのくらいの大きさが適当か? シルバー世代が一人で動かせるヨットの大きさは? いろいろ意見があるが、私は全長9メートルから10メートル、いくらか重い目のヨットがよいと思う。 ヨットがその長さのわりに重い目か軽い目かを示す数値に「排水量/長さ比」というのがある。 例えば図9.2 のヨットの水線長8.4メートルは27.5フィート、排水量が7.17トンだから7.17÷(27.5 3 )=0.000345となる。普通はこれを10 6(百万)倍して345を「排水量/長さ比」という。 350以上を重排水量、300前後をやや重排水量、250を中排水量、200がやや軽排水量となる。船の重量はいわゆる完成重量に加えて乗員、帆やロープ、錨、食料、清水、その他全部を積みこんだ重さをとり、水線長もその時の吃水線の長さになる。この満載排水量は日本のメーカーのカタログなどにある「完成重量」にlトン半から2トンくらい加えることになるだろう。

軽排水量のヨットは船体(カヌーボディ)の吃水が浅く、いわば皿を水に浮かべたような形になる。表面積も小さく、走る時に押しのける水も少なくてすむから抵抗が小さい。また少し傾いても大きな形状復原力が働いて腰が強い。だから大きい帆を張ることができて、小さい抵抗と共に速いスピードを約束する。その弱点は(傾きはじめた)初期の腰の強さと軽いボディーのために波の中の動きが跳ね回るように烈しく、いわゆる乗り前が悪い。また大きな角度まで傾くと急に腰が弱くなり転覆のおそれがある。重排水量のヨットはその逆で船体の吃水が深く、どっしりと水の中にすわっている感じで波の中の動きがやわらかだ。初めのうち腰は大して強くないが傾くにつれて復原力が増し、なかなか転覆しない。ヨットの究極的な生き残り能力を示す数値は「復原性消失角」だが、これが120゜と140゜とでは生き残り能力に大きな違いがある。排水量長さ比が300以上だと復原性消失角を140゜とか150゜にすることは可能だが、この比が250ではそれは難しい(最近のウィットブレッドの船などは軽排水量で140゜をクリアしているようだが、これは深いバルブキールに依存しているのだろう。 クルーザーにはどうかと思う)。 簡単に言えば、すこし昔風の重い船の方が最後の場面での生き残り能力が高いから安心だ。もうひとつクル−ザ−として優れた点は船体が深いから船内容積は大きく、もともと排水量も大きいから積載能力が高い。ここまではいいことばかりだが、しかし重排水量のヨットは軽い仲間のように軽やかに滑ることはできない。特に軽風のスピードはとても軽排水量にはかなわない。 風力4から5に近くなれば結構走るのだけれども。

シルバ−エイジ一人乗りには全長9メートルから10メートル、いくらか重い目の船が向いていると言ったが、この数値で言うと300前後だろうか。全長9メートルで全部積みこんだ重さ(排水量)が5トンから6トン、10メートルのヨットなら同じく6.5トンから7.5トンくらいになる。

 実は、ここでいう全長や排水量よりもかなり小さくて軽いヨットを推す意見もあるのだが、私は自分の経験にもとづいてこのくらいがよいと思っている。その理由は軽いヨットの性能を発揮するには練度の高い、腕っ節の強い乗員が必要だ。たとえ老練なヨットマンであっても、中高年の一人乗りに長時間これを期待するのは合理的でない。重目の船はどっしりして乗り前が良く、最高の操作までしなくても余裕があって安全だ。人間が船の面倒を見なければならないのではなくて、船が人間の面倒を見てくれる。また全長も7メートル余りの船と9メートル以上の船とではずいぶん頼り甲斐が違うのが私の実感だ。

一方では、離着岸や錨の上げ下ろしなどに必要な労力は一人乗りの船の大きさを考える上で大切な要素だ。沿岸クルージングで毎日出入港することを考えると40フィート(12メートル)の一人乗りは自信がないが、10メートルそこそこまではまったく問題ない。そこで全長10メートルくらいの船がよかろうということになる。なおウィンドラス(揚錨機)は手動でもよいが、電動を補助に使える手動式は理想的だ。

少し長い航海をしていると積荷が増えるのは呆れるくらいだ。衣類、生活用品、土産物、資料や書籍や趣味の品物……そんなものもあまり気にせずに積めることは気持ちの豊かなクルージングにつながる。重い目に設計された船は船体が深く船内容積も大きい。少々積み過ぎても性能はあまり変わらない。だから積載能力が高い。これはほんとのクルージングには大切な要素だ。

軽いヨットは速いから荒天の前に安全な所へ避難できるから安全だという意見がある。 率直にいうと私は、この意見が実際の荒天避航の経験に根ざしたものか、観念的に頭で考えただけの話なのか疑問を持っている。 陸の目の前で走っているディンギーならいざ知らず、速い、遅いといってもヨットの逃げ込むスピ−ドと、荒天の近づく速度は何倍も差があるのが普通なのだ。

議論はこれくらいにしておいて、それではシルバ−ひとり乗りによいと思う ヨットの例を二つばかり示してみよう。 海外のヨットばかりになってしまったが、実はこの種類の船が残念ながら国内の量産艇市場にはまず見当たらないのだ。 

一人乗りヨットの好例1:<キリックス>

図9.4,9.5 の〈キリックス〉は英誌「ヨッティング・マンスリー」の編集者であり、また英国沿岸の浅吃水ヨットの設計者としても好評を博したモーリス・グリフィスが老境に達した頃、自分用に設計建造したヨットである。 この船はまさにシルバー一人乗りを意識して老年にふさわしい、ひかえ目な沿岸クルージングのために設計されている。300を優に超える排水量長さ比は、人間の面倒を見てくれる船のものだし、ひかえ目の帆面積の係数もこの船の性格を物語る。ほんとうの微風では機走か機帆走するつもりかもしれない。

一人乗りヨットの好例2:ファルマス・カッター29

重排水量のファルマス・カッター29(図9.2, 9.3)はいつか日本へも来たことがあるおしどりヨット航海者パーディ夫妻の〈タレイシン〉が原型になっている。ほんものの〈タレイシン〉は来日した〈セラフィン〉に続くこの夫婦の二番目のヨットで船型はこのファルマス・カッター29のまま、ボウスプリットをさらに60センチばかり長くして軽風時の帆面積を稼ぎ、エンジンを下ろしてしまって長いオールを一本積み、船室の配置を自分たちの好みで大分変更している。 こんな船は万人向きではないが、この船を理解し、それを乗りこなす人にとってはすばらしいヨットだと思う。

まずこれだけの排水量があれば波の中の動きがゆったりとして安定感があり、転覆耐性も申し分ない。小粒ながらすぐれてシーワージーな(耐航性のある)ヨットだ。そして水や食料はもちろん、生活用品や工具類、書籍その他の趣味の品々も気にせずに積むことができるし、船室内のインテリアにこだわる楽しみもある。チークのルーバードアの代わりにカーテンにして0.05ノット速くするのも結構だが、0.05ノットくらい遅くても、重厚なルーバードアを毎日眺めて楽しむ方がよいという人もいる。つまるところ船の設計はバランスの問題なのだ。スピード、耐航性、居住性、積載能力、姿の美しさから個人の趣味まで、たくさんの要素、往々にして相反する要素のバランスをとって、その船の目的に最もかなったものにするのが設計だ。ヨットが乗り物であるからには遅くてよいはずはないが、一方少しでも速くするためにその他の要素を忘れるのは単純に過ぎると思う。

 それではこのファルマス・カッターのようなヨットのスピードはどれくらいだろうか?風力4くらいも吹いてくればこの類のヨットも結構走ることはよく知られている。問題は軽風時ののろさで、そんな時は機走するのもひとつの解決策だが、正統的な手段は十分な軽風用帆面積をもつことだ。そのためにこの船は船尾一杯までブームを伸ばし、長いボウスプリットをつけて帆面積を稼いでいる。

 帆面積と帆走性能を関係づける数値に「帆面積/排水量比」がある。この数はさきの「排水量/長さ比」と並んでヨットの設計の基本になる二つの数値だが、「帆面積/排水量比」の方は帆面積を排水容積の2/3乗で割ったものだ。 図9.2の例だと排水量7.l7トンを海水の比重1.025で割って排水容積は7.00m3、帆面積は60.7m2だから「帆面積/排水量比」=60.7÷7.002/3=16.6となる。  排水容積の2/3乗を使うのは、船体に働く水の抵抗がこの容積の2/3乗にほぼ比例するからで、この比が大きいほど、前進抵抗の割に帆にかかる推力が大きく、したがって高い速力が期待できる。この比が14は少な目の帆、16は普通、18でやや大きい帆と言われている。 

 ファルマス・カッター29ではこの帆面積排水量比が17近いから、重排水量のヨットにしては精一杯の帆をもっている。だから軽いヨットほどではないにしても軽風でもそこそこは走れるだろう。 原型の<タレイシン>はボウスプリットを延ばし、エンジンをなしにしたから、この数値は17を優に越えると思う。

日本でもこんなヨットが欲しい

 木造ヨットの時代にはヨットは一品生産みたいなものだったから、 いろいろ多様な個性のヨットがあった。 ところがFRPは基本的に一品生産に向かない材料なので、近年ではヨットの性格が大同小異になって来た傾向がある。それでも市場規模が大きいことも関係するのか、 北米やヨーロッパではかなりの選択肢があって、排水量長さ比が300前後の、ほんとうのクルーザーも結構売られている。ここではかなり個性的な2例しか挙げてないが、他にもこのような性格の船はずいぶんある。

わが国でもシルバー世代のヨットマンが増えて来たのだから、もう少し重くて乗り前の良いヨットがあっても損はしないと思うのだが、なかなか現れない。一昔前のブルーウォーター・シリーズなどは航海時の排水量長さ比を280くらいに仕立てることができたと思うが、 最近の量産艇はみなカヌーボディ(主船体)の浅い、基本的に軽排水量型なので、ここで言っているようなシルバー一人乗り向きの船に仕立てられない。 だから乗り手の方もヨットはそんなものだと思ってしまって、もっと重厚な船の良さを知らずじまいになっているのではないだろうか。 少しばかり荒れ気味の海で乗り比べてみれば、乗り前の違いは歴然としているのだが。

そこでデザイナーやビルダーの方々にご相談だが、ここらでひとつ、中高年の「わが道を行くクルージングヨットマンのための船」を作ってみてはいかがでしょう。 私は結構需要はあると思う。そのタイプはおそらく全長約9メートル、満載排水量長さ比300、帆面積排水量比16、マストトップリグのカッターでかなり長いボウスプリットをもつことになるかと思う。外板、デッキ、骨組から艤装品も現在の量産艇よりも大分骨太のものにする。ロングキールの必要はないが、前後方向にあまり短いキールは感心しない。インテリアは、オプションでかなりグレードの高いものから簡素なものもできるようにする。こんなヨットは質実剛健のシルバーの他に、世界規模の帆走航海を夢見る若いヨット乗りにもふさわしい船を提供することになるだろう。現在、この人たちもほんとうはそれに向いていないヨットで長距離航海に旅立っている例も多いように私には思われる。

ヨットは帆で走ろうよ

  明治から昭和初期の沿岸帆船の技術文化を追って、私はこの10年近く北海道から九州、南西諸島までクルージングを続けている。 それらの沿岸帆船は普通は動力を持たなかったから、それをできるだけ追体験したいという思いもあって、このところかなり過激に帆走にこだわっている。これはいくらか例外かとは思うけれども、しかし行き会うヨットの大かたが、機走または機帆走しているのはどうしたものだろう? 限られた余暇をなるべく有効に使いたいというのはよく分かるし、また、所詮は遊びなんだから、人それぞれの乗り方をすればいいじゃないの、というのも全くその通りだ。

それでもせっかくの海を帆走しないのはもったいない!

それにしても、やはりもったいないなと私は思ってしまう。 たしかに航海は移動の手段だというのもひとつの考え方で、それなら機帆走も結構ということになる。しかし、天然自然の風と潮だけを頼りに海を渡り、人類の収奪を受ける前の自然の偉大さ、美しさを実感することはヨットのクル−ジングの大きな内容ではないだろうか。 ハル・ロスやE.ヒスコック、最近ではエンジンなしのガフセ−ルのヨット<Curlew>で南極大陸まで行った Carr 夫妻などの航海記はそんな気分に満ちている。人工の力で自然の中に踏み込んで行くエンジンという道具はどうもこの感覚とは異質な気がする。 所詮は好みの問題かも知れないが、私には機走や機帆走を多用するクル−ジングでは海との付合いがどこか上滑りの感が否めない。ヘリコプターでエヴェレストに登ってもちっとも面白くないでしょう、と言った人がいるが、似たようなことかも知れない。

時間の制約のことはよく言われるが、同じ限られた時間ならより充実したクルージングをした方が得だ。 商売の航海ではないのだから目的地までどうしても行かなければならないことはない。自分が持っている時間の中で、せい一杯海と向き合って暮らして来てはどうだろう。 それはたとえ二、三日の沿岸クル−ジングでも同じだと思う。あとから振り返ってみてほんとうに私たちの心を満たすのはそんな航海なのだ。

安全のためにも帆は大切

「ヨットは帆で走ろうよ」にはもうひとつ大きな理由がある。それは安全だ。 ヨットで 何か困ったことが起こると、とりあえず、まずエンジンをスタ−トすれば一安心と考え勝ちだ。しかし、そうしたためにさらに状況を悪くしてしまった実例は非常に多い。

突風にたたかれたにしても、誰かが海に落ちたにしても、エンジンを始動する前にヨットとしてやるべきことはたくさんある。 あわてずに帆と舵を操作して、風を抜いて船を立て直すなり、落ちた人を帆走で拾いに行く第一動作を始めるなりするのが先決だ。 その上で落ち着いて状況を把握し、必要と思えばエンジンをかければよい。 そのような手順を踏めば、流したジブシ−トをペラに絡ませたり、エンジンを始動している間にワイルドジャイブをしてトラブルを倍加させたりはしないだろう。

現在では船という船はみな動力船だから本職の船乗りも海上保安庁も、そしてヨット乗り自身までも エンジンさえしっかりしていれば、いざというときには帆を下ろして機走できる、だからエンジンは必要不可欠な安全装備だと言う考えは広くあるように思う。 しかし帆を下ろしてしまってもヨットには大きな風圧を受けるマストやリギンがある。 船底には重いバラストキ−ルが付いている。 エンジンの馬力もそんなに大きいわけではない。裸マストで機走するヨットは、所詮、ハンディキャップ付きの動力船なのだ。 いい凪の海や、港の中ではそんな弱みも目立たないけれども、 いざと言うときにはそれが容赦なく出てきてしまう。 それに加えて、故障しない機械はないが、それも一番故障して欲しくないときに故障するのが機械の悪いくせだ。 だから私はエンジンがヨットの安全装備だとは考えられない。

人類はもう何百年も帆だけに頼って船を動かしてきた。ヨッティングはその誇り高い帆船の伝統を受けつぐスポ−ツだ。 だのに何かあるとすぐ帆を忘れて機械に頼ろうとするのは、いかにも腰の定まらない話だ。海の上で何が危ないといって腰がふらついているほど危ないことはない。 その意味で船乗りは頑固でなければならぬ。

沿岸ナビゲーションの三つ道具

 コンパスとログ(航程儀)とエコー・サウンダー(測深儀)、この3つは沿岸ナビゲーションの基本装備とされてきた。GPSは確かに便利だが、この3つ道具によるナビゲーションをマスターすることなしに、GPSだけで航海するのはどんなものだろう。なぜかと言われても実はあまりうまく答えられないのだが、おそらくGPSはあまり簡単、便利過ぎて、ナビゲーションというア−ト(職人芸)の深い内容を素通りしてしまう、それが不安だとでも言おうか。

 たしかにGPSの普及は私たちが既に新しいナビゲーションへの過渡期に足を踏み入れたことを物語っているのかもしれない。 しかしGPSを使うにしても少なくともここ当分は伝統的な沿岸ナビゲ−ションの手順は守ったほうがよいと思う。 いつも海図の上に自分の位置を記入し、島や岬の見通し線だとかコンパス方位などでそれを確認し、そして時々エコーサウンダーで海の深さを測って海図に出ている水深と話が合うか、気をつける。こうして船を進めて行けば、危ないものを見落とすことはまずないだろう。 定置網にも手前で気づくし、不意に浅瀬に乗り上げるようなこともない。

これに関連するが、GPSを沿岸航海に使うときの落とし穴がひとつある。海図の上の陸地の緯度経度が実際とずれていることだ。 これにはおそらく二つ原因がある。 ひとつはその海図が作られてから百年とかの年月の間に、地殻変動によって実際に陸地が移動したためで、日本列島が何十メ−トルか、海図上の位置からずれているなどはこちらではないかと思う。 もうひとつは海図を作ったときの天測の誤差だ。 あれ、と言われるかもしれないが、離れ島の場合を考えるとよく分かる。 その島の海岸線は陸上の測量で決まるけれども、その島を地球の上のどこに置けばよいか、それは天測によるしかなかった。現在では特別に精確なGPS装置を使ってその見直しが進行中だが、とにかく今使っているほとんど全部の海図は天測時代のものだ。 だから海岸線も暗礁も何十メ−トルか、何百メ−トルかずれていても不思議はない。国内ではあまり大きい誤差はないだろうが、太平洋の島などでは2カイリ以上の誤差の例がある。 2カイリは論外だが、沿岸航海では50メ−トルでも致命的になり得る。 だからいつも海図の上に自分の位置を記入し、陸の目標や水深でチェックしようと言うわけだ。

ここまでは船の安全はいわゆるヴァーチャルリアリティではだめなんだという、わりとまじめな話かと思うが、少しトーンを落として本音の話をすると、海図と3つ道具だけの方がずっと頭を使わねばならず、それだけ実は面白いということがある。 この点はヨットの機走と似ていなくはない。休暇が切れかけてエンジンで急ぐのはいいとして、そうでないのに風が落ちれば機走、風が前へ回れば機走するのと、状況が許す限り帆走に徹するのと比べてみよう。もちろん後のほうが余計頭も体力も使い、しんどい思いをする。 だからそれだけ内容が濃くて、それだけ面白いと言えないだろうか。

結局の落ちは、所詮スポーツなんだから人それぞれ好きなようにすればよいわけで、感覚を研ぎすまし、しんどい思いをするのが楽しい人はそうすればよい。ただ、五十余年のキャリアに免じて言わせていただけるならば、そうするのでなければ何も帆みたいな不便な道具を使い、風みたいな頼りにならないものに頼って航海することはないのではないかと思う。

推測航法(デッドレコーニング)と航程儀(ログ)

沿岸航海でも離島へ渡るときとか、夜間や視界の悪いときなど目標が見えなくなってしまう。こんなときログは実にありがたい。日本のヨット乗りはこれをもっと使うベきだと思う。 自動車の距離計と同じで、船底に取り付けたり、舷側から流した小さなプロペラの回転数から走った距離を示す。

推測位置を出したらすぐ測深して海図の水深と比較する。海流、潮流で船が流されるのはよくあることで、それはこの水深のチェックで見当がつくことが多い。 2、3回のDRと測深で流れのはっきりした傾向があれば、その分コースを修正して同じ推測航法を続ける。

  海霧の中に短時間、島の裾のあたりなどが浮かび上がることがある。すかさずベアリングを取る。DR船位、測深と組み合わせると、どの島か大てい分かる。これで1本「位置の線」が海図の上に引ける。同じようなことがまたあると、これで随分確かな船位が決まり、その後のDRはより信用できるものになる。 こんなときGPSがあれば簡単明快なことは確かだが、しかし私はコンパスとログと測深だけで納沙布岬も襟裳岬も、霧の中を岬の姿を全然目にすることなくシングルハンドの帆走で回航した経験がある。

ナビゲーションのこういう場面で大切なことは、ちょっと変な言い方かもしれないが疑い深くなることだ。どんなものも100パーセント信用できるものはない、これがこうだったらこうだし(多分そうだろうが、しかし)もし、ああだったらどうか、こんなことをいつも気にとめておかねばならない。GPSのデ−タもそんな目で見るかぎり有益無害なのだが、困ったことにあれはそのような疑い深さになじまない顔をしている。 九州佐賀藩に「葉隠」という古典があるが、それに「誤り一度も無きもの危なく候」なる名句がある。 失敗を知らず、従って疑うことのない侍の危うさをついている。

霧の夜だとか、そんな何が出てきてもおかしくないような海況でのナビゲ−ションを語るとき、疑い深さと並んで大切なのは注意深さだろう。 一瞬浮かびあがる山影はもちろん、音、漂流物、匂い、五感にかかるすべての徴候を見落としてはならない。 それらは三つ道具があたえる情報を、あるいは補ない、あるいは修正し、またあるときは警鐘を打ち鳴らす。 ナビゲ−ションのア−トとはそういうものだ。

海で行き逢う人々

こうして海で行きあう素朴な人たちは皆、その酷しい生活の中に、その人その人の幸福を持っているように見える。そうでなければどうしてあんなに他人に親切にできるだろう。

  酷しい生活の中のその人その人の幸福という点で、とりわけ私の心を捉えるのは自由漁民たちだ。彼らは単独か多くて3〜4隻の船隊を組んで遠く出漁する。1隻は夫婦か独身青年の1人乗りが多い。 網を使う大規模な漁をしないし、大ぜいで来ることもないから漁場の争いも聞いたことがない。

一夜の泊まりを求めて見知らぬ漁港へ入っていくと、地元の船の混み合わない、それでいて安全な一隅に「みょうとぶね」が二、三隻ひっそりと泊っている。 西日本一円にその名も高い広島県豊島の船で、必ず夫婦二人だけで乗っている。寄せていって声をかけると、
「ああ、 ここはええよ。 ともから錨入れて前の岸壁に鼻付けしたらええ。 うちの船の隣へ来いよ」
おおきに、と言っていったん離し、錨をいれフェンダ−を吊るして寄っていく。船頭が綱を取ってくれる。 このあたりでおかみさんの方も顔を見せて係留を手伝ってくれながら、
「あんた、どこからおいでたん? ひとり? さびしいねえ。 とうちゃん、うちアナゴ活けとったやろ、あれ少し、このひとにわけてあげよ」
「ありがたいなぁ、でもあんたら、せっかく釣ってきたんじゃけん、これ少しじゃけど取っといてよ」
「いやいや、これは売り物じゃない。 金くれるんじゃったら魚やらん」

もう11月も下旬に入るころで、翌日は冷たい西が吹き立った。 船頭たちはきょうは漁は休みじゃと朝から陸へいったようすだったが、しばらくすると稲藁をどっさり担いで帰ってきた。 岸壁の上の日だまりに集まったおかみさんたちはその藁を編んでしめ縄のようなものを作っている。聞いてみるとこれを輪にして、はえ縄の釣針を刺しておく道具にするのだそうだ。 はえ縄は細いロ−プを何百メ−トルも延ばし、それに付けたたくさんの枝縄に釣針をつけた仕掛けだから、その整理や収納には工夫がいる。 絡めると始末が悪いし、針を指などに引っかけて怪我する危険もある。 海が時化て漁ができない日にはこうしてみんなで楽しくおしゃべりしながら、必要なものを手作りするわけだ。

この人たちの暮らしを見ていると、日本の海辺の文化の原点を見る思いがする。 そして、もともと私たちはみな、こんなに開放的で人懐こい心情を持っていたのだろうと今更のように思うのだ。

こうして訪れる港々には可愛い子どもたちも多い。 いつか九州の南の端に近い小さな港で一泊したときのことだ。 船尾錨の船首着けで、岸壁からは2本ロ−プを取った。 一休みしていると、小学校3年生くらいの、丸い顔をしたやんちゃ坊主どもがさっそくやってきた。 3人ばかりが渾身の力をこめてロ−プを引っ張るので、
「おい、あんまり引くなよ、 船が当たるじゃないか」 とたしなめた。
これで彼らとコミュニケ−ションができて、
「これ、ヨットですか?」 ときた。
「そうだよ」
しばらく黙って、しげしげと<春一番>をながめていたが、そのうち一斉にさけびはじめた。
「うそじゃぁ、これヨットじゃない。 船じゃぁ!」

いっしょに笑いながら私はなるほどなぁ、と思っていた。ヨ−ロッパやニュ−イングランドなどには今でも、漁船や荷船など、その地方土着の小型船をヨットとして使い、それに強い愛着と誇りを持つている人たちがいる。 考えてみれば、彼らのヨットはもともとそのようにして生まれ、現在の姿に進化して来たのだった。 だから船とヨットの間に境界線も差別もない。 わが国ではヨットというと何かハイカラな舶来品の、普通の漁船などとは別のものと思われている。ヨット乗り自身さえそうかもしれない。それはヨットの世間を狭くし、ヨットが社会の基本構造になかなか溶け込めないことにつながっていないだろうか。 「ヨットじゃない、船じゃぁ」は子どもの見事な直感でこれをついたのだ。

こんな子どももいる。 その島ははるかに黒潮をのぞむ離島で昔は太刀魚の好漁場だった。初めてこの島を訪れた時、軒は傾き漁船は半ば壊れていた。人々は素朴だけれど無力感と暗い表情が目立った。私は水際で10歳ばかりの男の子と話していた。
「以前はな、ここではタチオがなんぼでも取れたんじゃ。とうちゃんもじいちゃんも毎晩その鼻の沖でタチオ釣った。大けな歯の、銀色のタチオがなんぼでも釣れた」
「そこへなあ、向かいの本土の浦からバッチ網が何統も出て来てうちの沖でタチオ取りだした。大けな馬力の機械据えて、毎晩毎晩ドットドットドットドットやるんじゃ」

バッチ網は巾着網のことで、網で漁群をとり巻いたのち、その裾を絞って一網打尽にする。一本釣とはくらべものにならない。島の人たちは相談の末、とうとう島の漁協のささやかな財源をはたいて中古のバッチ網漁船を1組買い入れた。浦の漁船はオレンジ色の船だった。 島の人たちはその誇りをこめて自分たちの船を太刀魚の銀色に塗り上げた。
「おう、浦のバッチはクソ色じゃ、島のバッチは銀色じゃ、島のバッチは銀バッチ、浦のバッチはクソバッチ。」

 銀バッチとクソバッチはそれから毎晩毎晩、ドットドットドットドット、競争でタチオを取った。
 「だめじゃった」そう言ってこの年少のホメロスは肩を落とした。
 「馬力がちがうんじゃ。こっちはどこにタチオがおるか知っとる。銀バッチのところへクソバッチがみな寄ってくるんじゃ、銀バッチがなんぼ頑張っても大方は馬力の大けなクソバッチが取ってしまうんよ」
 こうして漁場は荒廃し、クソバッチは去った。銀バッチはもう燃料もなかった。島は再び静かさを取りもどした。しかしすべてを失ったのちに。

  この時の印象が強烈だったので、私はその後長くこの島に寄る気になれなかった。とても遊びで行ける場所ではなかった。いつも銀バッチの話を思い出しながら素通りして20年がたっていた。 それも今ではもうだいぶん前のことになってしまったが、久しぶりに寄ってみると立派な築港ができ、鉄筋建の漁協では事務員の娘さんがテレビ女優のような話し方をした。それにしてもあのホメロスはどうしているだろう。あれはたしかに一編の叙事詩だった。そして思った、今の島と、バッチが来る前の島と、ほんとうはどちらが幸福の持ち合わせが多いのだろうと。

日本の海辺に暮らす人々を語るとき、私には忘れられない記憶がある。 あれは豊後水道の離れ島の漁港だった。 日もすっかり暮れ、船の出入りも終わって静かになった。おそい夕食を済まし、ひと休みしていると岸壁の方で人の気配がした。
「にいさん、もう寝たかな、わたし、あんたが入って来たとき、ここで釣しとったおばあちゃんよ」とその黒い人影は言った。
「もう寝とったんじゃけど、あんたのこと考えるとアジでもあげよと思うて出て来たんよ。 このコアジどう?」
ありがとう、と言って船首に立ち、相手は遠い裸電球の明かりに影を落として、しばらく言葉を交わす。

問わず語りの身の上話では、彼女は学校を出るとまもなく大阪へ奉公に出た。 戦争になって、つれあいは造船所で働いていたが終戦で失職し、一家で生まれ故郷の島へ帰って来た。 つれあいは小舟で毎日漁に出、彼女は狭い畑でイモや麦を作って食べ盛りの子どもを育てた。

昭和24年6月20日は明るい月夜だったという。 当時はテレビも台風情報もなかった。 突如として襲ったデラ台風は一夜にして数知れぬ人命を奪い、宇和海一円に「デラ後家」の言葉を残した。 彼女が38才、つれあいは42歳だったと言う。

もう娘も成人して孫もでけて、いまは安気(あんき)なものよ、と言うけれど、その40余年ににじむ汗と涙がだれにわかるだろう。

「なぁ、にいさん」
声もなく聞いていた私にそう呼びかけて彼女は続けた。
「見たところ、そんなに若うもないのに、あんたはそんな大きなヨットで独り旅をしてのようじゃが、ひょっとしたらあんた、その船で世界一周しようとしているんとちがう? にいさん、なぁ、世界一周はやめとき」

私は胸を突かれた。 この人はせっかく眠りかけていたのに、このことを言いたいばかりに出てきてくれたのだ。 人を海で死なせてはいけない、と身にしみて知っているにちがいないこの人の言葉が心を打つ。 私は、おばちゃん、ありがとう、おやすみなさい、とだけ言った。 彼女も明るい声で、おやすみな、と言って帰って行った。

ヨットの櫓を押す姿に昔のつれあいへの追憶が重なり合って、他人ごとと思えなかったのだろうか、と思う。 孤島の静かな夜に包まれたこの会話は私の心にいつまでも残っている。

終わりの章

ヨットの乗りかたは十人十色、<舵>誌などでおなじみのJ.ハワ−ド氏ではないが、一人ひとりにマイ・ウェイがありユア・ウェイがある。 しかし一つのマイ・ウェイが唯一最良だなどと言えるはずがない。まったく正直なところ、私の乗りかたが万人向きだとは思えないし、<春一番II>が万人向きの船でないことも明らかだ。 しかし一方では、ひとつのマイ・ウェイがもうひとつのマイ・ウェイの何かの参考になることはあるだろう。 昔の人も「他山の石、もって我が玉を磨くに足る」と言っている。

シ−マンシップの追求は半ば無意識に私のヨッティングの原点だったと思う。ここで注釈をしなければならないのだが、日本語の「シーマンシップ」 には船乗り精神とでもいうような倫理的要素を含むことが多い。しかし本来の「シーマンシップ」はロープの扱い、錨の打ち方からメインテナンス作業まで、およそ船乗りに必要とされるすべての技能ないしは職人芸のことで、心構えとか船乗りらしさとかの意味はない。

私が追求したのはこの「帆船を走らせ、メインテナンスをする職人芸」を磨くことだった。船を帆で走らせる一流の技を身につけたいものだ。 それはヨットに乗るとき、いつも私の心の底にある志のようなものだったと思う。

それがどこから来たものか、自分にもよく分からない。ただ私が初めて帆走を習った人たち、彼らは沿岸スクーナーの船頭や打瀬網漁船の漁師だったが、その人たちがすばらしいシーマンシップの持ち主だったことは疑う余地がない。 60尺におよぶ大打瀬や、石炭を200トンも積んだ3本マストのスクーナーを彼らがどんなに自由に乗りこなしたことか。もちろんエンジンはまったく持たない純帆船だった。あるときは決してあせらず一歩一歩着実に、またあるときは一瞬の遅れもないすばやさで、彼らはそれをこなした。

  それは長年の、文字どおり血の滲む経験に支えられていた。今でも忘れられないが一人の老水夫は、
「わしらが船に乗りだしたころはマストへ登るのに地下足袋はだしで足指の股と両手でレゲンのワイヤー 2本に取り付いて登ったもんじゃ。ワイヤーがささくれだって足指に突き刺さって痛うてのう、泣きながら登ったで」と話してくれたことがある。

若い日に彼らの技に心を打たれ、いつの日かあのように自由に帆で船を動かせるようになりたいと思った。ロープの端止めやワイヤースプライスを教えてくれたのも彼らだった。 出入港などで意地を張っていると言われるくらい、帆走にこだわるのもおそらくこのあたりから来ている。風がなくなってもエンジンを使わず、いつまでも風を待つのも同じだ。

職人芸そのものに精神的要素は少ないと思うが、職人たちが自分の芸に、人知れぬ誇りを持っていることは疑いない。 入り込んだ水路を帆走で通り抜けて目的の泊地まで船をもって来たときの、自分の心の中だけにある誇り、これをハル・ロスはシーマンシップの誇りと呼んだ。船をいつもシップシェイプに一糸乱れぬ状態に保つのも同じ誇りだと思う。私たちヨット乗りはもっとこのひそかな誇りを楽しむことを覚えてよいのではないだろうか。

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