5 ヤマハへ

横浜ヨットへ入ってから10年経った頃、経営状態が悪くなって、日本鋼管から資本と人が入って来ました。私には管理強化が我慢ならない、そこへヤマハから話があったので喜んで移りました。1960年のことでした。

話を持ってこられたのが卒論で付いた林先生で、先生ご自身がヤマハのボートの開発の手伝いをしておられて、どうも良く走らないから行って見てくれという話です。千葉社長には本当に申しわけ無かったけれどもお願いして許しを頂きました。

ヤマハの川上源一社長は海が好きでヨットによく乗っていましたが、信じられない程怖いもの知らずで、どんなに荒れても船を出させます。ご存じの「ねむの里」も浜名湖から船で行って海から調べて開発したものです。お陰でこちらもさんざん怖い思いをしましたが、一方ではボートにどんな危険な状態があるのか、どんな船が信頼できるのか、といった大事なことが判ってきました。

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6 ハイフレックス船型とストライプ船型

図 11 ハイフレックス14
4.07mL x 1.495mB、132kg(船体)、480kg(4人40馬力)、
50km/h(2人40馬力)、1961年発売
 
ヤマハへ来て、材料が木からFRPに変わった機会に、以前から作って見たかった丸型船型を試みました、それがハイフレックス船型です(図−11)。丸いビルジのお陰で波の当たりが柔らかいほか、旋回する時にサクションで強力な求心力と内傾モーメントを発生します。そのため旋回半径が小さく運動性が素晴らしいのです。一方では外板の剛性が出やすいので床やシートを付けることで充分構造が固められ、縱通材などの補強材が不要になり、軽量、ロ−コストが実現できました。ただ船底勾配が小さいので、大きなジャンプをするような外洋を走るのは苦手の内水面向きの船型で、結局小型艇の標準船型になりました。ストライプ船型は25度という、当時としては考えられない程大きな船底勾配を持った船型です。この系統の船型は1960年頃からアメリカの外洋レースで圧倒的に速いことを立証しました。それを試作してみると、その夢のような乗り心地にすっかり惚れ込んでしまったのです。さらに改良を入れたもう1隻を作って、その2隻を当時行われた太平洋1000kmマラソンに出してワンツ−フィニッシュを飾りました。(図−12)

図12a ストライプ18(プロトタイプ)
図12b ストライプ18(三面図)
5.5mL x 2.26mB、100馬力x2、
80km/h(2人)、1962年発売
 
このレースは16隻がエントリ−して11隻が大阪を出発し、荒天の為に東京までたどり着いたのはヤマハの2隻だけでした。正に船型の勝利でしたから、すぐにそのレース艇を雄型にしてストライプ18という商品を作ったところ、名艇と言われて凄く良く売れ、ストライプ船型はヤマハの大型艇の標準船型になりました。ところがそれから数年、他社はどうしたことか同じような船型を作らなかったのです、その落差がヤマハボートに圧倒的なシェアを許すことになったと私は信じています。

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7 パスポートとF−22

図13 パスポート17
5mL x 2mB x 1mD、350kg(船体)、
55馬力船外機、1976年発売
 
1975年、第一次石油ショックの訪れに、ボートの売れ行きはパタリと止まりました。それまでの好景気でボートは贅沢な仕様に移行して、船型はストライプ型、エンジンはイン/アウトを積んでいずれも外洋をガンガン走れる高速艇になっていました。

私はいろいろ考えた揚句、それまで売っていた17フィート艇と同じ長さ、同じボリュームで半分の重量、半分の価格、そして3分の1の馬力のエンジンで充分使える船ができると営業に提案しました。営業が共鳴してくれて作ったのがパスポート17(図−13)です。これが当たって、石油ショックの影響を市場でもまたメーカーの経営上も最小限に止めることができました。

図14 F−22
6.58mL x 2.14mB x 0.90mD、船体重量570kg、
55馬力船外機、1978年発売
 
2度目の石油ショックに対してもF−22というプレジャー用の釣り船を開発して売り上げの谷を埋め、さらに釣り船の新時代を拓くことができました。(図−14)

和船型の細長い船型の前に小さなキャビンを付け、広い釣りスペースを確保すると共にセルフベーリングデッキを持ったこの船は飛ぶように売れました。500kgそこそこのボートを設計している担当者に、あと100kg軽くしろと迫った効果が出て、極めて軽くて走りが良く、しかも思いがけぬ安さに収まったからです。ヤマハはこの船の売れ行きを見て上下のバリエーションを増やし、仕様のレベルで横にもバリエーションを拡げました。他社も巻き込んで今の釣り船時代の源を作った船ということがいえると思います。一方ではヤマハも他のメーカーも、ボートメーカーというより釣り船メーカーになってしまった責任の一半も、この船にあるのでしょう。

パスポートとF−22、この極端に軽い船を作れたのは、ハイフレックス船型で極力構造材を省いたこと、それにGの度数計を使って無駄の無い強度に仕上げていったテスト方法によるところが大きいと思います。10Gが何百回出るまで荒海をすっ飛ばせば市場での問題は出ないという限度を決めて、若いテスターたちが荒い遠州灘を高速で駆け回った努力の代償として得られた、計算では望めない貴重な成果でした。

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